造作 階段 階段をうまく配置しデザインすることは難しい。退屈になりがちな移動空間も有効に活かしたい。 建具 1 建具 2 建具は人の出入だけではなく、いろいろな場面で使用される。空間を仕切ったり、風や光の調節、その他目隠しを兼ねたり…建築にはなくてはならない。 しつらい 完成して間もない頃、幼稚園々舎を訪れると、保育室の片隅や廊下の棚にさりげなく花が生けてあった。設計時にイメージをしていたとはいえ、いたく感動した。もちろん子どもたちはいたずらなどしない。 たな 棚は、しつらえ(室礼)を施すには重宝な造作。幼稚園であっても、住宅であっても、もてなしの作法は同じこと。 shop デザインとして天井裏の(半)露出を初めて認知したのは、30年程前、池袋西武のどこかだった。その頃からコスト削減という安直な大義もあって、堂々と世に出始めてきたように思う。 shop
風景 ki-no-fune 利尻 磯船 北海道西海岸の磯船は、おしなべて舳先が反り上がった鋭い形をしている。津軽や下北の船同様、艪ではなく、二本のクルマガイを使い、手と足で巧みに操船する。 古利根沼 猟船 大都会東京の近郊にも静かなみず場は存在する。利根川水系の特徴を持つ猟船が、一艘あった。 吉野川 カンドリブネ カンドリブネと呼ばれる猟船は、後部(トモ)が大きく反り上がる。 後部の接水面が小さいので、漁にあわせた機敏な動きが出来るという。 木曽川 リョウセン 前後ともに細まった猟船で、長良川のウブネ(鵜飼船)とほぼ同形であるが、より丈夫に出来ている。使い込まれた木の摩耗が、造りの良さと姿の良さをいっそう引き立てていた。 三面川 猟船 単材丸木船の様相を強く残す複材刳り船。この川の船大工ももはや亡くなり、新造は難しい。 那珂川 猟船 佐渡 タライブネ(ハンギリ) 佐渡にタライブネという船がある。醤油樽を半分に切ったともいわれ、ハンギリとも呼ばれている。非力な女性でも操れるので、佐渡では現在も、ごく沿岸の磯船として使われている。 隠岐 トモド 大蛇 カッコ 日本刀のような鋭い反りを見せる磯船はカッコと呼ばれ、写真の新生丸は昭和26年(1951年)に建造された。 この船の舳先の鋭さはそのシンプルな納まりにある。ミヨシ材をタナイタで挟み込み、側面からはミヨシを見せない。 熊野川(新宮川) 猟船 熊野川の船はなんとも伸びやかな形を見せる。日本の木船の形は、地域や川ごとに顕著に異なる。 志摩 アマブネ 漁場での成果は、潜る海女と船頭との50秒間の遣取りできまるので、多くは夫婦でペアを組む。漁から戻ると、酷使された身体の恢復のため、海女小屋で一時間ほど温まってから帰宅するが、この時間が集落内の情報交換の場となる。 能登 テンマ この浜では、漁の都度船を揚げなければならない。動力式のウインチが無い頃はカグラサンと呼ばれる木製ウインチなどを使っていたが、この浜には見当たらない。コロを敷いて手で押す。 宮津 トモブト トモ(後部)がすぼまっておらず太いので、トモブトと呼ばれる。 板で構成される一般的な木造船より丸太の刳り船に近いので、頑丈で重い。 男鹿半島 マルキ 昨今ではほぼ見られない丸木船。木肌のしわが、百年に及ぶ全てを語る。 福島潟 福島潟には貴重な動植物が棲息し、多くの渡り鳥も飛来する。この潟には、ジュウニショウブネ(十二俵船)ともハンリョウブネ(搬漁船)とも呼ばれる運搬と漁を兼ねた木造の船が往来していた。
船図 礼文 磯船 古利根沼 猟船 吉野川 カンドリブネ 三面川 カワブネ 那珂川 猟船 佐渡 タライブネ 隠岐 トモド 大蛇 カッコ 志摩 アマブネ(エンパ) 宮津 トモブト 男鹿 マルキ 福島潟 ジュウニショウブネ
風景 umi-1 丹後 浜納屋から直接桟橋に出られる。光を含んだ乳白色ポリカの小波板に、網を繕う道具のシルエットが粋だった。 気仙沼 いつの間にか即席の作業台ができていた。水揚げしたばかりのコンブを洗浄し、所定の長さに切ってネコに積む。2006年4月下旬、気仙沼の夕暮れ。 隠岐 船小屋群を見ることも今では少なくなった。あったとしても漁具の収納小屋になっている。ここは今でも現役。新船と同居していて元気でいい。 三陸 以前は上中下段に渡って古びた番屋が並んでいた。住家は災害に備えて高台にあるため、泊まり込んで出漁にそなえていた。 伊勢 五ヶ所湾 静かな朝方だった。この桟橋は、先でぐるりと廻れるのがミソ。 利尻 青森北部や北海道の磯船の操船は後部で押す艪ではなく、船の中ほどで二本の櫂を操る。従ってトモ(後部)の突き出た尖りは邪魔にならない。勢いのある独特なトモの形状は、この自由度の大きさから生まれた。 宮津湾 宮津湾沿岸の半島の小さな漁村。丁寧に並べられた12足の靴、黄色い長靴にはケロヨンもいた。 佐渡 小さな入江のことを浦と呼ぶらしい。この地は深浦という。木造の船が二艘とハンギリが数艘(桶?)あった。際奥には小さな神社がある。 鷲羽湾 正月、年神様を迎え入れるため、船にもしめ飾りを設える。漁船は女人禁制という地域も過去にはあっが、沿岸での磯漁は夫婦で行うことも多い。 能登 小さな桟橋を見るといつもワクワクしてしまう。何てことはないただの船までの渡りなのだが、それはそれでいい。
集合住宅(渋谷) YYG-flat 四角い平面を2分する共有廊下が中央に位置し、各階4戸づつの貸室が向かい合う。最上階のペントハウスからは新宿のビル群が一望できる。 YYG-flat コンクリート打放しの建物では、構造の様子が如実に表現されていることが多い。シンプルなだけにプロポーションが大事になり、寸法の秩序が問われる。 YYG-flat 共用の廊下、特に中廊下は暗くなりがち。両端に窓を設けて、廊下への出入りの際に不快さを感じさせないよう計画した。 YYG-flat 各室の入り口の鉄扉からは柔らかい光が入り込む。暗く寒々しい玄関になるのを避けたかった。 YYG-flat 壁の下部は梁の出っ張りを利用した棚。浅い棚でも便利に使え、端から端まで渡せば部屋の構成要素としても良いスケールを出すことができる。 YYG-flat 窓の腰高(床から窓までの高さ)を小さくして窓を大きくとりたい。同時に道路からのプライバシーを守るため、目隠しにもなり採光も取れる小引き戸を設けた。 YYG-flat メンテナンスを考慮して配管を露出させた。普通は隠されている設備の配管も、秩序を持って露出させると美しく変身する。 YYG-flat YYG-flat エントランスにつながる明るい位置に、小さなコーナーをもうけた。小机を置いて作業をしたり…思いのほか使える。 YYG-flat オープンな洗面室/浴室。単身者用の集合住宅であるが、浴室は気持ちがよいに超したことはない。
別荘(東御) ATM-villa 田園の広がる丘陵地に建つ、仕事場を兼ねたセカンドハウス。 ATM-villa ふわりと屋根を被せたようにしたかったが、それにはやはり軒先は薄くしたい。ここではC型チャンネルを抱き合わせて母屋とし、焼成した硬質不燃材下地に金属板を葺いた。 ATM-villa ATM-villa ATM-villa コンクリートで造られた5m×25mの大きさの地下基礎は事業用倉庫になっている。上階は両サイドにベッドルーム、中央には思いっきり開放したリビングダイニングを配置した。 ATM-villa ATM-villa 窓は床から天井まで一杯に取られ、部屋は明るすぎるほど明るい。普段の家と大きく雰囲気を変えたセカンドハウスでは、訪れる度に気分も変わる。 ATM-villa 天井の高さは6m。低い天井はしっとりと落ち着くが、充分高い天井もおおらかで気持ちがよい。 ATM-villa
住宅(桃山) MoMo-h MoMo-h 居間から食事室を見る。格子の奥は主婦コーナー。 MoMo-h 居間から吹抜けを通して、2階の子ども室が伺える。 MoMo-h 一段高い仏間は居間と一体化している。 MoMo-h 未だ幼い姉妹の部屋は、いずれ仕切られるかもしれない。吹抜けを通して、居間や食堂と空間が共有される。 MoMo-h 階段の踊り場は、気分転換を図るコーナーとなる。 MoMo-h 南に向いた明るい浴室は、外風呂へと広がる。 MoMo-h MoMo-h 天井を共有する本棚で仕切られた書斎は、風通しもよく圧迫感がない。 MoMo-h 居間から延びる広いデッキは、時おり生活に変化をもたらせる。